愚かしいOECDのPISA(学習到達度調査)ランキング、そんなものに振り回されるようではこの国に将来はない!学習は自分でするもの!天才は自分で創るもの!養成された秀才は単なる凡人に過ぎない!頭・手・足を総動員せよ、みな天才になれる!(2005年2月11日)

「日本は深刻な状態」と言われている、PISAの2003年度の表題調査結果は、以下の通り。

<数学的リテラシー得点>
全体:1位香港(550点)、2フィンランド(544)、3韓国(542)、4オランダ(538)、5リヒテンシュタイン(536)、6日本(534)、・・・・、9マカオ(527)、・・・・、28アメリカ(483)
量:1位フィンランド(549点)、2香港(545)、3韓国(537)、4リヒテンシュタイン(534)、5マカオ(533)、・・・・、11日本(527)、・・・・、28アメリカ(476)
空間と形:1位香港(553)、2日本(553)、3韓国(552)、4スイス(540)、5フィンランド(539)、6リヒテンシュタイン(538)、7ベルギー(530)、8マカオ(528)、・・・、29アメリカ(472)
変化と関係:1位オランダ(551点)、2韓国(548)、3フィンランド(543)、4香港(540)、5リヒテンシュタイン(540)、6カナダ(537)、7日本(536)、・・・・、26アメリカ(486)
不確実性:1位香港(558点)、2オランダ(549)、3フィンランド(545)、4カナダ(542)、5韓国(538)、6ニュージーランド(532)、7マカオ(532)、8オーストラリア(531)、9日本(538)、・・・・、24アメリカ(491)
<科学的リテラシー得点>
1位フィンランド(548)、2日本(548)、3香港(539)、4韓国(538)、5リヒテンシュタイン(525)、6オーストラリア(525)、7マカオ(525)、・・・・、18アメリカ(495)
<読解力得点>
1位フィンランド(543)、2韓国(534)、3カナダ(528)、4オーストラリア(525)、5リヒテンシュタイン(525)、、・・・・、10香港(510)、・・・・、14日本(498)、・・・・、22アメリカ(491)
<問題解決能力得点>
1位韓国(550)、2香港(548)、3フィンランド(548)、4日本(547)、5ニュ−ジーランド(533)、6マカオ(532)、・・・・、29アメリカ(477)

マスコミは、愚かしい「学識経験者」の批評を報じているが、その典型は以下の通り。

「日本の15歳(高校1年生)の読解力低下を表した経済協力開発機構(OECD)の2003年学習到達度調査(PISA)。読解力だけでなく、「1位グループ」とされた数学的活用力でさえ「明らかに低下している」と捉える教育関係者も少なくない。同時実施の意識調査では、成績はよくても勉強への関心が低い生徒像や、生徒から当てにされない学校像も浮かび上がった。前回2000年の調査で1位だった数学的活用力は6位に後退し、出題された4分野のうち、特に計算などの「量」分野が11位、確率・統計など「不確実性」分野が9位と、上位国に引き離された。「他の上位国と統計的な有意差はない」と文科省は分析するが、岡部恒治・埼玉大経済学部教授(数学)は「明らかに成績が落ちたととらえるべき結果だ。計算など量分野は本来得意分野だったので、深刻な状態。読解力の低下は(数学の)文章題が解けない子どもの増加にも影響を与えている」と分析する」
「初めて実施した意識調査では、勉強への否定的な反応が大半を占めた。「数学の本を読むのが好き」12.8%(参加国平均30.8%)、「数学を勉強するのは楽しい」26.1%(同38.0%)、「将来の仕事の可能性を広げてくれるから学びがいがある」42.9%(同77.9%)。「学んだ数学を日常生活にどう応用できるかを考えている」に至っては12.5%、ニュージーランド60.5%の約5分の1だった。上野健爾・京都大大学院理学研究科教授は「悲惨な結果だ。勉強の面白さを理解できなければ知識が頭の中を通過するだけで、分数も分からない大学生を生むことになる。学習指導要領改訂で教科書が薄くなり、子供の関心を呼び起こす内容が削られてしまったことも一因だ」と話す」(毎日新聞)

統計数学的には、セグメントレンジ5位間に有意差は存在しないから、その間の順位を云々することは無意味であり、ナンセンスの極みである。また、同一の設問であっても、各国の宗教・文化的背景が全く異なるから、理解の位相は異なり、比較自体が滑稽である。そういう比較を"Apple-to-Orange"と言う。そもそも、ランキング上位の国からどんがなイノベーションが起きているのか?韓国が上位に入っているが、あの国から発信されたイノベーションなど、見たことがない。世界の優秀な者はどこの国を目指すのか?言うまでもなく、多様性の国・変化の国・チャレンジの国・機会の国であるアメリカ合衆国である。そのアメリカは、20数位を「低迷」している。半導体・コンピュータ・情報・通信の多くのイノベーションは、そのアメリカから生まれている。その原動力を担うのは貧しい国々を含む世界各国からやってきた夢多き若者や再挑戦のベテラン技術者である。彼らにPISAと同じ問題を出したら、おそらくは、最下位にあるだろう。恵まれない夢多き若者や偏屈なベテランには、似合わないものである。韓国や香港、マカオのように、事前練習すれば、幾らでも点数は稼げる。試験問題とは所詮そんなものだ。そんなものに振り回され、教育制度がどうの、教科書がどうの、授業時間がどうのと、脅迫観念的にブツクサ言っても無意味だ。ある掲示板にあった意見( http://blog2.fc2.com/rita3/blog-entry-11.html )を、以下に引用する。

「かりにあなたの側に学力低下の問題を強迫観念的に悩みわずらう者がいたとしたら、軽蔑の眼をして一笑に付してよし!何の問題もありません。情報化社会は知のありように一層、複雑性を付加していく過程です。例えば年代という条件で学力を観察するならば、10年前と現在では言及するまでもなく知というシステムは複雑に分化しているわけで、複雑性に富んでいるシステムは可能性として多様なオペレーションをし得るということになり、ですが一方で多様な知をシステムのオペレーション過程において完全に関係づけることは不可能であり、環境との差異において高度な複雑性を取り扱うことができないシステムは、知を「選択的においてのみ」関係づけることが強いられるわけです。このパースペクティブは何も年代という条件においてのみ見られることではなく、文化の浸透度合いに当然格差がある地域という条件を提示しても同様のことである。であるから国際的に学力を比較して云々するのは限りなく意味がないということになる。システムの複雑性に対応するために、近代社会は機能分化という形態を選択して、システムは一つの機能のみをただ寡黙に取り扱うことで、その総体としてのメタなシステムはオペレーションが可能となるわけで、例えば理数系の学力低下が世間では血相を変えて語られているようであるが、先にも言及したようにシステムは全ての知(情報)を取り扱うことができないのだから、選択的な知の関係づけでその分野に秀でているパーソンや組織、集団がその分野のみの機能を司り、結果、システム全体がうまく回っていけばO.Kなわけです。てーげー理論ではシステムの内容を全く問うことはしません。内容、構造がどんなものであれシステムが円滑にオペレーションされていれば、それでよし。はい、それでいいんです。また何度も云いませんがシステムの複雑性が高度なものになればなる程、このパースペクティブへの移行を避けることはできないのです」

かって、私は、勉強の来ない子供相手に、変わった塾を開いていた時期がある。そこでの教え方を披瀝しよう。

算数が弱い小学生3人に、ある時、コンパス、定規、色鉛筆、ハサミ、糊を今度来るときに持ってくるように告げた。いつも、何らかのものを持ってこさせる。頭・手・足を総動員する教育をしていた。その当日、正多角形の条件を説明して、正三角形、正四角形、正五角形、正六角形をこれから作ると宣言。好き勝手に正多角形を描かせる。フリーハンドで描こうとする者、定規をあてがって描こうとする者、コンパスで円ばかり描いていている者、いろいろだ。行き詰ったところで、コンパスを活用して、先ずは正三角形の作り方を教えると、コロンブスの卵で、「なんだ、そんなことか」と、全員が直ぐに正三角形を描けるようになる。「じゃあ、今度は正六角形を描いてみよう」というと、意外や意外、ささっと描ける者がでてくる。発見的なことに皆面白がる。正五角形はやや難しいから、描き方を教える。そうして、正三角形から正六角形まで、色画用紙に作図し、それを型紙にして、沢山の正多角形を作る。「今度は、正三角形を組み合わせて、正多面体を作ってみよう」と言うと、面白がって工作に励む。何枚組み合わせれば、正多面体になるのか、ワイワイとやり出す。その内に、「先生、できたよ。正三角形4まいで出来るよ」と、糊で貼り付けながらニコニコして言う。正四面体である。このようにして、正多面体を発見的に作っていく。正多面体のボールが、どんどん出来上がる。頭・手・足を総動員するから、興味が湧く。次の新しい発見がある。それが目に見える形となる。喜びに繋がる。「じゃあね、頂点の数、辺の数、面の数を調べて表にしてみよう」と言う。怪訝な顔をして表を作り出す。出来上がった表をチェックして、「この三つの数字の中に何か法則がないか、調べてみよう。それが分かったら、みんなは数学の大天才だよ。」とけしかける。これが面白い。ヒントを出す。「足したり、引いたりすると同じ数字になる」と。「先生分かったよ!」、「へえ、すごいな」。(頂点の数)+(面の数)−(辺の数)=2、という位相幾何学・空間幾何学において非常に重要な基本定理である、オイラーの定理が、落ちこぼれの小学生によって発見されてしまうのである。

それが天才を創るのである。「天才」とは、「自己の有する認識・知識から離散的に飛躍した概念を生み出せる能力」のことをいう。従って、誰もが天才になれる可能性はあるが、「離散飛躍」的な知性を特徴とする天才の養成は不可能である。入試等のパターン反応訓練に過ぎない秀才の養成は簡単であるが、所詮は「連続延長」的な知性でしかなく、「凡庸」の再生産であるから、イノベーションは起きようが無い。

この国に、天才が生まれる環境があるかどうか?